さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

ゲーテとシラーとグラスと大江

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ドイツにはやたらゲーテとシラーの像があります。これは、ナショナリズムの成立期に、この二人がドイツのナショナル・アイデンティティを体現する「国民作家」としてもてはやされたためで、ワイマールの国立劇場の前にも、ゲーテとシラーがセットになった像が仲良さげに並んでいます(一枚目の写真)。
日本にいるころ、この像について先生が授業中に面白いことを言っていました。授業で大江健三郎とギュンター・グラスの往復書簡(朝日新聞の戦後50年企画だったと思います。ドイツでは、フランクフルト・アルゲマイネ新聞で連載され、『50年前の昨日Gestern, vor 50 Jahre』というタイトルで単行本化、話題を呼んで各国語の訳が出ています)を扱った時のことです。

先生「さて、皆さんはこの書簡を(当然)読んできたわけですが、フラウ・ナマカル、これについて何か言うことがありますか?」
わたし「…ええッ!?(いきなりわたしかよ)はい、あのう、そのう、それでは何ページの何行目(←予習が間に合わなかったので、ここしかコメントできない)、ギュンター・グラスは、「子どもとして終戦を迎えた私たち」と書いています。しかし、実際には、グラスは18歳で兵士として戦場で終戦を迎え、大江は終戦の時8歳で、飛行機の飛んでこない田舎にいました。幼少期の記憶としての戦争体験を問題にするなら、二人の10歳という差は大きいと思うのですが、それにもかかわらず、グラスは自分と大江のことを「私たち」と呼ぶことができるのでしょうか?」
先生「そうですね、そのあたり、オオエは控えめに自分とグラスを分けているわけですが・・・。フラウ・ナマカル、あなたはワイマールにあるゲーテとシラーの像を見たことがありますか?」
わたし「・・・・・・???はい、あります。」
先生「あの像は、一見、仲良く肩を組んでいるように見えるけれど、実は、大きなゲーテがシラーを腕の下に抱え込んでいる図なのです。グラスがオオエに対してしていることもこれと同じです。この書簡においてグラスは・・・(以下略)」

ゲーテとシラーは、実はそんなに仲良くなくて、シラーが死んでから、ゲーテがやたら誉めそやすようになった、みたいな話は結構聞きますが、そう言われてから見ると、この写真も、「なあにいちゃん、金貸してんか」「持ってへんがな」とか言っているように見えなくもありません。
ついでに載せた二枚目の写真は、2年前にシラーの家で買った人形で、後ろに広げてある本は、多分ゼーガースです。3枚目はベルリンのジャンダルメン広場にあるシラー像、4番目は、ワイマールの土産物屋の前にあった、リアルゲーテです。