今日は、ノーベル博物館のご紹介をしたいと思います。と言っても、中は撮影禁止なので、写真は外しかありません。この博物館は、旧市街(ガムラ・スタン)の真ん中の「大広場(ストーラ・トルイェット)」にあります。
▲赤い丸で囲った小さな島が旧市街。
▲旧市街の拡大図。通り抜けるだけなら、10分で縦断できます。
旧市街は、元祖ストックホルム。昔は、ストックホルムというとここでした。今でも王宮や古い町並み、土産物屋等が軒を連ね、ストックホルム観光の目玉です。ちなみに、ジブリ映画「魔女の宅急便」のコリコの街のモデルの一つだそうです。
旧市街については、2007年滞在時にも紹介しています。
このど真ん中、どこの道を通っても必ず行けるところに、ノーベル博物館があります。この建物はもともと、スウェーデン・アカデミーの建物でした。皆さんは、スウェーデン・アカデミーはご存知ですか?ノーベル賞は、それぞれの分野について、その道の専門家が審査をしますが、文学賞を選考するのが、スウェーデン・アカデミーです。その他の活動としては、辞書の編纂や、古典をはじめとする文学作品の刊行などを行っています。
スウェーデン・アカデミーの成立は1786年。フランスびいきの当時の王様グスタフ3世が、アカデミー・フランセーズをモデルに作ったそうで、アカデミー・フランセーズの少数精鋭主義を習い、定員を18人(フランスの方は40人)としたそうです。フランスのちょうど半分の20人ではなく18人にしたのは、「Aderton」(18)という言葉の響きが美しいからだったとか。
ちなみに。2011年6月1日に、アカデミー会員で、イェーテボリ大学教授のボー・ラルフ教授が来日し、東大薬学部でスウェーデン・アカデミーに関する講演会をしました。詳細はこちら(講演会はすでに終了しています)。
上記の説明は、そこで聞いたことの内容がかなり入っています。
あと、スウェーデン・アカデミーのHP(英語)はこちら。
ちなみに、このスウェーデン・アカデミー、一度会員になると、死ぬまでやめることはできません。現在No.15のKerstin Ekman(シャシュティン・エクマン)は、ミステリーから純文学へという異例の経歴の持ち主なのですが、サルマン・ラシュディの保護をめぐってアカデミーと対立し、絶縁宣言をしました。が、やめられないので、今も名前だけ残って、HPのメンバー紹介ページには、「活動していません」と書かれています。
…と、話だけではつまらないので、写真を見ていきましょう。「大広場」につくと、よくわからないオブジェに鈴なりの子ども。
▲よじよじ…。荷物がなければ混ざりたかった!
▲その背後に、ノーベル博物館があります。
ここには、ノーベル賞の歴史などの紹介コーナーのほか、歴代ノーベル賞受賞者が寄贈した所持品が展示されたコーナーがあります。わたしは、アマルティア・センが寄贈したという自転車(20歳くらいの時父に贈られ、その後50年にわたって、その自転車を使って現地調査をした。ほとんどの学者が参考書を寄贈する中で、珍しいという話が、当時の天声人語に出ていました)を見たかったのですが、この日は展示してありませんでした。
▲ピッピが持つのが10枚セット、ニルソン氏のが1枚。
ノーベル博物館には、カフェがあり、そこの椅子には、ここ10年くらいの受賞者のサインがあります。時間がなく、そこでお茶はできなかったのですが、椅子は見せてもらい、小柴さん、田中さん、益川さん、小林さんのサインは発見しましたが、大江健三郎、ギュンター・グラス、ナディン・ゴーディマ等、作家関係はほとんど見つかりませんでした。
博物館に疲れたら、そこら辺をぶらぶら。狭い路地に、テンションが上がります。
▲旧市街には教会もいっぱい。
▲免税店も多い。どれもこれもほしくなって困ります。
▲車一台通るのがやっとの路地。
昔の貴族の家なんかもいっぱいあります。
▲実は、この屋敷の中庭で、日本で2番目に有名なスウェーデン人・ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン(スウェーデン語読みだとフェッシェン)が殺されたのでした。ちなみに、フェルゼンが仕えた最初の王様は、スウェーデン・アカデミーを作ったグスタフ3世でした。
▲屋敷全体を見ると、こんな感じ。ちなみに、去年はフェルゼン没後200年ということで、スウェーデンでは、『フェルゼンとマリー・アントワネット―「わたくしが申しあげられるのは、わたくしがあの方を愛しているということだけ」』というタイトルの伝記が出ました。
▲歩き疲れたら、カフェに座ってまったり。スウェーデンは、コーヒーがおいしいです。
▲この暗い店内が、たまらない!
次週は、HP更新のため、ブログ更新は休みます。次の更新は、7月8日(金)の予定です。