さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

ヴェルムランド紀行・おまけ カールスタッドの太陽

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カールスタッドには、前の記事に載せたものを含め、たくさんの銅像があります。カール9世はもちろんのこと、近郊出身の作家グスタフ・フレーディングや、もちろん我がラーゲルレーヴの像もありました(ただし、えらく地味な場所に)。

この中で、ひときわ人目を引くのが、街の中心部にある、一番上の写真の像。「カールスタッドの太陽」と呼ばれた、18世紀の別嬪さんです。本名は、エヴァ・リサ・ホルツ(Eva Lisa Holtz, 1730-1818)といい、レストランの女給さんで、明るい性格とすてきな笑顔から、「太陽」と呼ばれ、親しまれたそうです。現在のカールスタッドのロゴ・マークは、笑った太陽になっています。

と、いうことで、今日は、グダグダついでに、北欧の太陽のことを書いてみたいと思います。

ウップサラに住んだのは、半年だけで、しかも夏の間だけだったわけですが、太陽光の少なさは、半端ないです。光が弱いだけでなく、曇りや雨の日も多くて、「雲ひとつない空」というものには、お目にかかったことがありません。

イプセンの作品に『幽霊』というのがあります(ちなみに、わたしは、『亡霊』って訳したほうがいいと思います)。『人形の家』のラストシーンで、主人公ノラは夫と子どもを棄てて家を出ますが、この結末は、そこかしこで非難を浴びたそうです。それを受けて、「あそこでノラが家に残ったって、結局、上手くなんか行かないんだぜ」ということを示すために書かれたのが『幽霊』です。主人公は、放蕩者の夫に愛想を尽かして、一度は家を出ようとしますが、周囲に説得され、息子のために残ります。子どもだけでもうまく育てたいと、主人公は、息子をダメ人間の夫から遠ざけ、イタリアに留学させるのですが、息子もやっぱりダメ人間で、梅毒にかかって戻ってきて、最後はモルヒネ自殺します。

今、手元に原文がないので、正確ではないのですが、モルヒネで意識が朦朧とした息子は、「ここには太陽がない。生きることは苦しみで、働くことは罰だ、喜びなんて何もない」と言います。そこに、朝日が差し込んできて、母親は、「そんなことない、ここにだって太陽はあって、ほら、日の光も差してるじゃないか」と説くのですが、その声は届かず、「太陽を…、太陽を…」とつぶやく息子を背景に、幕は下ります。

北欧は光が少ない、というのは、結構深刻な問題で、スウェーデンでは、成人の20パーセントが、冬季鬱の問題を抱えているそうです。一定時間人工的な光を浴びる「光療法」なども、大真面目になされています。今はまだ9月になったばかりですが、日は一日ごとに短くなるし、風の強い日は落ち葉や木の種が舞うし、一週間の大半曇りだし、なんともいえないメランコリックな雰囲気で、論文の進捗状況とあいまって、どうしようもない焦燥感と倦怠感をかもし出します(あ、別に体調が悪い、とか、自殺予告とかじゃないので、読んでる皆さんは、ご心配なく。論文とは遅れるものです)。

住んでみる前は、北欧文学は、光ばっかり称えるけど、闇が悪いものとは限らない、それに、暗くたって、昼は昼だし、そこに何らかの輝きはあるはずだ、などとを考えていたのですが、そんなことは、南方人の戯言であって、悪いかどうかは別にして、この暗さは確かにヤバイです。わたしは、どう考えてもダメ人間で、「太陽を!」とか「もっと光を!」とか言いながら死ぬるタイプなので、こういう中で、「ここにだって太陽はある」と言えたり、自分がほかの人の太陽になれたりする人って、すばらしいなと思います。

イプセン『幽霊』の情報はこちら↓。岩波文庫版を買えば、帯にもれなく黒柳徹子がついて来るようです。