さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

チェンジェライ・ホーヴェ『骨たち』

2週間ほど前、しばらく北欧文学をご紹介、と宣言したのですが、近頃、ニュースサイトで、ジンバブエの選挙弾圧やインフレの記事をよく目にするので、今日は、予定を変更して、ジンバブエ文学のご紹介です。といっても、ジンバブエの本は、今日ご紹介する、ホーヴェ『骨たち』と、同作者の『影たち』しか読んでいません。

歴史についても、あまり詳しくは知らないのですが、ジンバブエは、長いことイギリス植民地として「南ローデシア」と呼ばれ(この名前はアフリカの植民地支配に「功績」のあったセシル・ローズから来ています。ローズは、アフリカをまたいだ風刺画が、高校の世界史の教科書なんかに載っている人です)、長く激しい解放闘争を経て、1980年にようやく独立しました。

『骨たち』は、独立前夜、白人の農場で働く黒人女性マリタを主人公にした作品です。彼女の息子は、テロリストとして解放闘争に参加していて、結局そのせいでマリタは殺されるのですが、息子の恋人ジャニファや、農場の他の人たちや、「精霊たちの声」が、マリタについて語る、という構成になっています。

この作品を初めて読んだのは、高校一年生の時でしたが、月並みな言い方ながら、天地のひっくり返るような衝撃を受けました。そういう「語り」も初めてだったし、語られる内容も順番も、いわゆる時系列にはなってなくて、すべてがそれまで親しんできたヨーロッパ文学とは、全く違っていました。ホーヴェは、もともと詩から出発した人で、巻頭には、こんな詩がありました(もう10年くらい読んでないので、細かいところが違うかも知れません)。内容は、これ以上説明の仕様がないので、これで、雰囲気を感じていただけたらと思います。


待ち続けた母たちよ。
帰らぬ子どもたちよ。
息子たちよ、娘たちよ、
捧げられた骨たちよ。
新しい心を生み出すために、
骨たちと、血と、無数の足跡と。
今贖われる、新たなる民族のこころよ。
帰る日を夢見ながら
倒れていった、
骨たちよ。

訳者の福島富士男は、当時、東京都立大学助教授で(今は教授)、センターが終わって、二次に出願するまで、都立大に行ってアフリカ文学をしようかなという選択肢は、ずっとありました。

文学として衝撃を受けただけではなくて、もし、自分がマリタの息子だったらどうするか、ということも、当時同年代だったこともあって、真剣に考えました。自分の母親は、白人の農場で毎日口汚くののしられながら重労働をして、一日にコップ一杯の豆しかもらえない。でも、そこで働くより他に、生きていく術はない。テロリストになって白人を殺し、農場を自分たちの手に取り戻すことでしか、自分たちの尊厳を守る術はないんじゃないか、そうした状況を前にして、それでもやっぱりテロはだめだと言えるのか、自問自答したことを覚えています。

今、汚職や不正選挙、言論弾圧で国際的な非難を浴びているムガベ大統領は、この独立解放闘争の時の英雄です。彼自身、ダイヤモンドの利権などに絡んで「変節」した部分もあるようで、そのせいで、ジンバブエの国民が困難な暮らしを強いられているとすれば、国際社会がそれに対して何らかの措置を講じるのは、一見正論です。ただ、これまでの経緯を考えると、アフリカの指導者を、しかも、「ジンバブエ解放の英雄」を、欧米諸国が欧米の倫理で裁くのは、どこか違うんじゃないかな、とも思います。

この本は品切れで、図書館にも必ずあるわけではないでしょうが、古本なら手に入るようです。一応、アマゾンのURLを貼っておきます。