さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

155kmのベルリン散歩8 トレプトウ運河

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先週の記事で書いたように、前回はサクロウ湖のあたりで道を見失い、家にたどり着くまでに3時間以上かかってしまいました。本当は、ぐるっと回ってスタート地点に帰りたかったのですが、もう一度3時間かけてあそこまで行って、また道に迷ったらこの日は何もできないことになり、そうすると歩き終わること自体が難しくなるので、この日から、スタート地点に戻って、今度は逆向きに歩くことにしました。

実は、それまでが思ったようにはかどらず、更に、冬休みにもう一回歩くつもりだったのが、ゼミの準備等で出来ず、ゴールできるかも怪しくなってきたところだったので、スタート地点から南に下れば、少なくとも東西ベルリンの壁跡だけは全て歩ける、というもくろみもありました。それまで長く歩いた道は、ほとんどが舗装されていなかったのですが、この回は、歩いた道が全てコンクリートで、途中で腰が痛くなり、歩くのが大変でした。

ベルリンの中心部には、トレプトウという運河が流れているのですが、1989年の2月、ここで最後の犠牲者が出たそうです。クリス・ゲフロイ(Chris Gueffroy)という20歳の青年で、運河沿いに慰霊碑が建っていました。

導入部に書いたように、ベルリンの壁崩壊はわたしにとって「一番古い世界のニュース」、つまり、同時代の出来事だったわけですが、それでも、たとえば壁の建設は歴史上の出来事であり、最初の死者も歴史上の人物という認識がありました。でも、この最後の死者は、1968年生まれ、わたしと10歳しか違わなくて、わたしが塾で東西対立の歴史を勉強したりしている時に、この人は壁を越えようとしたのだと思うと、複雑な気分でした。ほんの少し、生まれる場所と時代が違っていたら、わたしがこの人だったかもしれません。

トレプトウ運河を過ぎて南下すると、シェーネフェルドに出ます。ベルリンには、3つ飛行場があります。西側からの便が発着するのがテーゲル国際空港とテンペルホフ国際空港(こちらはベルリン封鎖の際に空輸が行われた空港ですが、テーゲルに比べて小さく、今年10月に閉鎖されるそうです。ちなみに、ベルリンの遺失物掛がここにあります)と、東側からの便が発着するシェーネフェルト国際空港です。このシェーネゲルトに着いたところで、再度道が分からなくなり、日も暮れたので、この日はここで終わりました。