さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

カタリナ・ヴィット引退

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わたしはスポーツ観戦はあまりしないのですが、その中で結構熱心に見ていたのが、フィギュアスケートでした。確か小学校の頃、フランスのスルヤ・ボナリーが好きで見始めたのですが、リレハンメル・オリンピックで、カタリナ・ヴィットの演技を見て、彼女の大ファンになりました。

ヴィットは、旧東ドイツ出身、1965年生まれの選手で、1984年のサラエボ・オリンピック、88年のカルガリー・オリンピックで金メダルを取っています(ちなみに、88年、壁崩壊直前のエキシヴィジョンでは、革ジャンを来てジャズを踊っています。こういうことをする人は、好きです)。その後、プロに転向するのですが、ボスニア紛争時の94年、リレハンメル・オリンピックでアマに復帰、「花はどこへ行った」にあわせて、10年前に自分が金メダルを取ったサラエボにささげる演技をしました。

ボスニア紛争については、当時の報道が一方的で、国際世論も偏ったものであったことが、現在では指摘されています。ヴィットがこの演技によって、その偏った国際世論の形成に加担したこと、また、わたしを含めた視聴者が、無批判にその演技に感動したことに対しては、反省が必要だと思います。また、その後ヴィットは、その演技について「フィギュアスケートは芸術でもあることを伝えたかった」と発言しているのですが、それはそれで価値ある主張だとして、そうしたスケート選手としての主張のためにボスニア紛争というタイムリーな話題を利用することには疑問を感じます。

が、そうした疑問をもってしてなお、この演技は本当にすばらしかったとわたしは今でも思っています。すでに選手としては年を取っていて、また、ジャンプなどがあまり得意でないこともあり、メダル争いには最初から参加できず、結果も7位だったのですが(それでも充分すごいですが)、「フィギュアスケートは芸術」ということそれ自体は、主張して恥ずかしくないものだったと思います。このビデオは、何度見たか分かりません。

その後も、アメリカでショービジネスとしてのスケートは続けていたのですが、それも引退するということで、16日と17日、ベルリンで引退公演がありました。わたしはこの留学中、ほとんどどこにも遊びに行かなかったので(と、自分に言い訳して)、17日、この公演に行ってきました。

リレハンメルの時は、選手としては年齢が上といいながらも20代だったヴィットも、今は40歳を越え、さすがに衰えていました。長く滑れない(2時間くらいあったうち、ヴィットは短い曲を6曲だけ、あとはほかの人がつなぎ)し、ジャンプはできないし(一回だけ飛びましたが、一回転でした)、スピードも遅いし、足なんかも高く上がらないし、でも、氷の上に上がると、存在感がぜんぜん違うんですね。スケーティングの美しさは、若い選手の比じゃなかったし、得意のスパイラル(足を180度に開いたまま、半円を描いてすべる)は、本当にすばらしかったです。「花はどこへ行った」も、全部ではありませんでしたが、滑りました。とても満足のいく公演で、今年ベルリンにいて良かった!と、心から思いました。なんだかすごく、元気をもらって、勉強もやる気満々になりました。やっぱりヴィットはいいですね。