さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

ナディン・ゴーディマ

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今週の火曜日、11月20日は、ラーゲルレーヴの149回目の、南アフリカ共和国の作家ナディン・ゴーディマの84才の誕生日でした。11月に入ってから、毎週誕生日ネタでいい加減しつこいので、これでやめますが、『若草物語』には、メグが「11月っていやな月よね」というのを受けて、ジョーが「だからあたしは11月に生まれたんだ」と答えるシーンがあります。ジョーのモデルは作者で、ここも伝記にもとづいているかどうかは知りませんが、もしそうだとすれば、オールコットも11月生まれということになります。坂本竜馬も11月15日が誕生日兼命日(先週が没後140年)なので、11月は、大人物を輩出する月なのかもしれません。ちなみに、わたしは残念ながら8月生まれです。

ラーゲルレーヴについては、今までに結構書いているので、今日は、ナディン・ゴーディマの方を紹介したいと思います。

ゴーディマは、南アのユダヤ系女性で、反アパルトヘイトの作家として知られ、1991年にノーベル文学賞を受賞しています。朝日新聞の戦後50年企画で、大江健三郎がいろんな作家と往復書簡をした際の、最初の相手がゴーディマでした。

わたしは、高校生のころ、『バーガーの娘』という作品でゴーディマにはまりました(本に熱中するあまり、電車を乗り過ごして、気がついたら宇品だったことがありました)。この本でみすず書房デビューしたせいか、みすず書房に異常な憧れがあります。

アフリカ文学に興味を持ったきっかけは、大江健三郎の『アフリカへ、こちらの周縁から』(『人生の習慣(ハビット)』所収)というエッセイで、その中で取り上げられたチェンジェライ・ホーヴェ『骨たち』を翻訳で読んだところ、内容・訳ともにすばらしく、同じ訳者福島富士男の手になるということで、ゴーディマにも手を出したのでした。独文科に進学する時、日本文学と西洋古典にも色気を出したことは、結構いろんな人に話しましたが、実はそれ以前、大学受験の際に、アフリカ文学科のある(というか、福島富士男のいる)都立大は、結構本気で考えました(それだけに、現在の都立大の窮状を見るにつけ、憤りを禁じ得ません)。人生にもしもはない、とはよく言われることですが、もしも、あの時都立大を受験し(かつ合格し)ていたら、今ごろは、ベルリンではなく、ジンバブエにいて、ショナ語講習に参加したりしていたかもしれません。

作家を好きな理由は、登場人物が好きだったり、情景描写がすばらしかったり、倫理性や正義感に惹かれたり、文体が神だったり、せりふにほれ込んだりとさまざまですが、ゴーディマは、とにかく「上手い!」の一言に尽きます。ゴーディマは、よく巻頭に別の作家の詩や句を引用したり、タイトルが引用句にちなんでいたりするのですが、引用文をあんなに効果的に使いこなせる作家は、わたしはほかに知りません。たとえば、『マイ・サンズ・ストーリー』は、反アパルトヘイト闘争の英雄のダメ息子が、父親と家族のことを語る作品で、巻頭にシェイクスピアソネットが引用されています。元教師の父親がシェイクスピア愛読者、息子の名がウイリアムという設定以外に、内容には直接的なかかわりはないのですが、最後の一行を読み終わった瞬間に、その句に対するゴーディマの解釈が完璧に分かる、という構成になっています。

当然、文章にも無駄がなく、『バーガーの娘』でも、伏線がすべて回収されるというのか、それまでに起こった一見なんでもないような、さまざまな小さな出来事が、最後に主人公の決断に向けて結集します。
ちなみに、『バーガーの娘』の巻頭句は、上巻がレヴィ・ストロースの「「私」という場所でしか、出来事は生起しない」、下巻が王陽明の「知って行わざるは、知るにあらず」でした。ほかに、『この道を行く人なしに』という作品があるのですが、このタイトルは、芭蕉の句「この道や行く人なしに秋の暮れ」に由来します。

また、ゴーディマは、近年の作家らしく、延々と風景描写をするということはないのですが、あるとき、テレビをつけてたまたま目に入った風景を、「(『バーガーの娘』第一巻のラストシーンで主人公が車で走る)ヨハネスブルクの道路に似ているな」と思ったら、本当にヨハネスブルクだった、ということがありました。

以下は、みすず書房のゴーディマページです。

http://www.msz.co.jp/book/author/13869.html

アフリカは、あるいはオーストラリアやニュージーランドの原住民もそうですが、植民地支配を受けたことで英語をはじめヨーロッパ言語が浸透し、現在では、文字を持たない種族の人たちが、ヨーロッパ言語で作品を発表しています。そうした場合、英語は自分たちの文化を奪った侵略者の言語であると同時に、文学作品を書きうる(あるいは、出版しうる)唯一の言語であり、そのジレンマが問題にもなるわけですが、そうした問題を含めて、旧植民地の文学は、世界の文学に大きな影響を与えています。ゴーディマはヨーロッパ人種なので、このカテゴリーには当てはまりませんが、わたしが最初に読んだホーヴェなどは、ヨーロッパとはまったく違う感覚で、本当に新鮮でした。哲学科の少年に勧めたことがあるのですが、読み終わった彼の感想「ページをめくるごとに目からうろこが落ちてきて、僕の目にはこんなにうろこがあったのかと思いました」は、言いえて妙でした。


更新:かなりいまさらですが、ドレスデン時代の記事「ザクセン・スイス」も更新しました。

http://blogs.yahoo.co.jp/megamiyoutae/8819173.html