さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

ケーテ・コルヴィッツ

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先週は、日本からお客さんが見えたので、ベルリンを案内して、ケーテ・コルヴィッツ美術館に行きました。

ケーテ・コルヴィッツは、1867年生まれ、終戦の3ヶ月前に亡くなった木版画家・彫刻家で、プロレタリア芸術の先駆者として知られています。高杉一郎著のアグネス・スメドレーの伝記『大地の娘』(*)の挿絵がコルヴィッツで、わたしはそれでファンになりました。手の表現がなんともすてきで。

コルヴィッツは、ベルリンに50年くらい住んでいて、旧東ベルリンのプレンツラウアー・ベルクには、コルヴッツの住んでいたアパルトマンと、コルヴィッツ広場(コルヴィッツの像がある)があります。旧西ベルリンのクーダム(高級な店が並ぶ大通りで、銀座みたいなとこ)にある、コルヴィッツの友人の旧宅が、個人コレクションを公開して、今は私設美術館になっています。わたしは、2005年の8月にも、当時通っていたベルリンの語学学校のプログラムでこの美術館に行きました。月並みな言い方ですが、この時見たコルヴィッツには、勇気をたくさんもらいました。雨が降って、でも不思議と明るい日だったことを覚えています。今回は良く晴れた、とても美しい日でした。

以前、ホロコースト警鐘碑の記事で、ユダヤ人以外の犠牲者を追悼する碑が別の場所にあると書きましたが、それは、フンボルト大の主要校舎の真横にあります。もともと、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世時代に近衛兵の詰め所(ノイエ・ヴァッヘ)があった、ギリシア神殿風の建物ですが、1993年以降、「戦争と暴力支配の犠牲者のためのドイツ連邦共和国中央慰霊碑」になり、銘版には、シンティ、ロマ、ホモセクシュアルや反体制で犠牲になった人々に触れた上で、すべての犠牲者を追悼する旨が書かれています。

この中に、コルヴィッツピエタ(1937年)の拡大レプリカが置かれています。建物の天井は丸く切り抜かれて、光が差し込むようになっています。



(*)アグネス・スメドレーは、アメリカ人のジャーナリストで、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングの特派員として、日中戦争中に八路軍毛沢東を同行取材しました。自身はコミュニストではありませんが、リヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実を引き合わせた人物でもあります(未読ですが、木下順二『オットーと呼ばれた日本人』にも登場するらしい)。高杉一郎は、フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』の訳者ですが、もともとジャーナリストで、でもスメドレーのような仕事はできなくて、同じジャーナリストとして、反省と尊敬をこめて伝記を書いたのだとありました。ちなみに、わたしがその伝記を読んだのは、高杉一郎著だったのと、赤木由子という人の自伝『二つの国の物語』(理論社)で、主人公がスメドレーの自伝『女ひとり大地を行く』を読むシーンがあったからでした。この自伝は、旧満州で過ごした少女時代を書いたもので、文章はちょっとつたないですが、とにかくすごい迫力です。その後、卒論を書いている時、ゼーガースについて読んでいたら、ゼーガースがメキシコ亡命中に会った人の中にスメドレーが出てきたので、なんとなく不思議な円環です。図示するとこんな感じ。ちなみに、わたしの図示は分かりにくいので有名です。

赤木由子・高杉一郎 → スメドレー → コルヴィッツ 
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 戦争文学 → ゼーガース→ 東ドイツ文学 → プレンツラウアー・ベルク