さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

ベルリン・ホロコースト警鐘碑

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定期的に更新できず、申し訳ありません。

今週末は、ドレスデン時代の友達が尋ねてきてくれました。締め切り間近の原稿を抱えていたこともあって、充分なおもてなしができず、申し訳なかったのですが、ブランデンブルク門のすぐそばにある、「虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のための記念碑(通称「ホロコースト警鐘碑」)に一緒に行きました。

「警鐘碑」は、ベルリンの壁ナチスの党本部の跡地のすぐそばに作られたモニュメントで、墓石のような形の黒い石が延々と並び、間の狭い通路を進んでいくと、だんだんと石が高くなって、不安な気持ちになります。

この碑は、構想そのものは壁崩壊以前の1988年からあったそうなのですが、どこに作るのか、資料館のような具体的なものにするのか、それとも抽象的な記念碑や像にするのか、また、対象をユダヤ人のみに限定するのか、それともシンティ、ロマ、ホモセクシュアルなども含めてホロコーストのすべての犠牲者を祈念するのか、といったことで、実に17年にわたる論争がありました。結局、対象をユダヤ人に限定した記念碑ということに決まって(他の犠牲者には、ほかの場所に碑を作ることになった)、着工されたのが2003年、2005年5月に完成しました。

2000年に独文科に進学して、最初の年にとった講義に「『壁』なき時代のドイツ文学」というタイトルのものがありました。当時は現代文学にあまり興味がなかったし、実朝時代の『吾妻鏡』を読む日本史のゼミとかぶっていたので、よっぽど面白くなければやめようと思いつつ、ためしに一回目の授業に出てみたのですが、その導入が、この警鐘碑についての話でした。この授業は本当に面白くて、ほとんど病み付きになり、卒論も、進学するときはシラーで書くつもりだったのが、戦争文学で書きました。2005年の夏にドイツに行った時、一番仲良くなったイタリア人(ツェラーン研究者)と一緒に、初めて出かけて行ったのもここで、わたしには、ドイツ文学に片足を突っ込んだものとして興味深いだけでなく、個人的にも、非常に感慨深い場所です。

写真は、同じ日に国会議事堂前から撮った写真と、次の日に、フンボルト大学の前の広場「ベーベルプラッツ」(ナチス焚書をした場所)の裏から撮った虹の写真です。いずれも、「警鐘碑」と直接の関係はありません。