さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

ドレスデン7 エーリッヒ・ケストナー

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ケストナーは、ドレスデン生まれで、ギムナジウムを卒業する1919年まで住んでいました。自伝「わたしが子どもだったころ」は、ドレスデンを舞台にしています。

ドレスデンには、「ケストナー美術館」があります。1999年に建てられた、新しい博物館で、わたしがドレスデンで住んでいた学生寮から市電で蓋駅、歩いても20分弱で行けるところにあったのに、なかなか行けず、最後の週末に、根性で行ってきました。

博物館といっても、普通の家の大きさで、中はこじんまりとしています。派手に何かが展示してあるというのではありませんが、とても冴えた美術館でした。

館内に入ると、まず、職員が「ケストナーは本に導入部をつけるのが常でしたので、私どもも、まず導入からはじめます」というようなことを言って、美術館やケストナーについての基礎知識を伝授してくれます。
恥ずかしながら、その導入ではじめて知った(本を読んだのは10年以上前で、さすがに地名は覚えてなかった)のですが、ケストナーは、ドレスデンのケーニヒスブリュッカー通り66番地生まれ。通っていた語学学校は同じ通りの84番地にありました。博物館や生家跡の写真は、いろいろと悲しい事情があって撮り損ねてしまったので、近くで取った夕暮れの写真と、語学学校の写真を載せておきます。

中に入ると、4色の引き出しがあり、「児童文学者としてのケストナー」「ケストナーとメディア」「批評家としてのケストナー」等の資料が、それぞれの引き出しに入っています(今日は、家に冊子を忘れてきたので、詳しくは来週追記します)。ドイツ語で引き出しのことをカスト(Kast) 、「ちっちゃい引き出し」をケストヒェン(Kästchen)というのですが、これと、ケストナーの名前(Kästner)が、かけてあるんですね。

引き出しの中には、写真などのほか、手紙などの資料がありました。びっくりしたのは、リンドグレーンケストナーの手紙があったこと。リンドグレーンが、「今度、わたしと同じ出版社からあなたの本が出ると編集者に聞きました。がんばってね」という手紙をケストナーに出していて、ケストナーが「あなたから手紙をもらえるなんて、何たる栄誉。今書いている本は、「わたしが子どもだったころ」というタイトルになる予定です」というような返事を書いていることでした。

この博物館は、もっとゆっくり見たかったです。ドレスデンで残念だったことのひとつです。