さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

バウツェン1 DDR

ドレスデンの語学学校のプログラムは、授業のある日はドレスデン市内の美術館などがほとんどでしたが、土曜日には、一日がかりで、電車に乗ってよその町にいくプログラムがありました。2月24日には、このプログラムに参加して、ラウジッツ地方の中心都市バウツェンに行ってきました。

ラウジッツ地方は、チェコとの国境にあり、バウツェンまではドレスデンから1時間ほどです。わたしは、もともとこの地方に住むソルブというスラヴ系の少数民族(次回の記事で詳しくご紹介します)に興味があって、このプログラムに参加したのですが、この街には、旧東ドイツ時代の政治犯の収容所があったそうで、プログラムには、今は資料館になっているその建物の見学も含まれていました。

びっくりしたのは、その建物は普通の住宅街の中にあり、外から見るとまったく普通の建物に見えるように造ってあったということです。インストラクターの説明によると、そこに収容所があることは、誰も知っていてはいけなかったそうで、隣は庁舎なのですが、収容所に面した窓は開かないようになっていたそうです。

収容所内部で受けた説明も、非常に醜悪な(説明そのものがではなくて、内容が)ものでしたが、帰る時に、住宅街の中にある「普通の建物」である収容所をもう一度見て思ったのは、この隣に住んでいる人たちは、たぶん収容所だった昔もここに住んでいたんだろうけれども、資料館になった今、そのことをどういう風に思っているのかな、ということでした。外から見るわたしたちには、収容所や資料館の隣に住むということは、特別なことのように思えるけど、多分、住んでいる人たちには、昔も今も、それが当たり前だったのだと思います。こういったプログラムには、近くの工科大の学生がアルバイトで引率として一緒に来ます。行きの電車の中でずっと話していたのですが、ドレスデン生まれの(つまり、旧東ドイツ生まれの)その学生たちは、わたしよりも、旧東ドイツのことを知らず、彼女たちが自分たちの東ドイツ時代を特別なものと考えている、という印象は受けませんでした。

もちろん、いろんな人がいろんな風に思っているでしょうし、「当たり前」=「許される」わけではありませんが、とりあえず、そんな感想を持ちました。長くなってごめんなさい。