先週は、お休みをいただいたのに、HPを更新できませんでした。HPの方に行ってくださった方、申し訳ありません。
先週の記事で、フェルゼンのことを書いたところ、「フェルゼンて実在の人物だったの!?」というご感想をいくつかいただきました。というわけで、補足として、今日の記事では、まず、フェルゼンのことを少し書きたいと思います。『ベルばら』を読んでいない人には、特に興味をひかない内容と思いますので、そういう方は、文字部分をすっ飛ばして、写真のところに行ってください。
ちなみに、わたしは少女漫画は『ベルばら』と『下弦の月』しか読んでいません。また、18世紀の歴史の専門家でもありませんので、今から書くことは、突っ込まれるとうろたえるレベルです。
まず名前の読み方ですが、スウェーデン語では、rsと書くと「ッシュ」という発音になりますので、Fersenは、「フェッシェン」になります。『ベルばら』で、「フェルゼン」というドイツ語読みが採用されているのは、おそらく、オーストリアの作家ツヴァイクの『マリー・アントワネット』の翻訳が、ドイツ語読みになっているためと思われます。ただ、ドイツ語読みが間違いかというとそうとも言い切れなくて、「フォン」がついていることからも分かる通り、フェルゼン家はもとはドイツ貴族の家系です。スウェーデンは、軍隊制度をドイツから輸入したのですが、その時にスウェーデンに来たドイツ貴族の二男・三男が、ドイツに帰っても家督を継げないので、そのままスウェーデン人女性と結婚してスウェーデン貴族になった例が多くあるそうで、植物学者のカール・フォン・リンネや、(芸名ですが)俳優のマックス・フォン・シドウなど、「フォン」がつくスウェーデン人は、割とたくさんいます。
さて、フェルゼンが仕えたグスタフ3世は、アカデミー・フランセーズをモデルにスウェーデン・アカデミーを作ったことからもうかがえる通り、フランス万歳な王様でした。もうちょっとまじめな言い方をすると、当時のスウェーデンは絶対王制を敷いていたのですが、そのモデルがフランスだったみたいです。フェルゼンがフランスに派遣されたのも、もとはこうした背景があったからだと思われます。グスタフ3世と、その息子グスタフ4世のもとで、フェルゼンは大出世し、軍人の最高位国家元帥にまで上り詰めます。
しかし、グスタフ4世は、ナポレオンに対する強硬外交のまずさや、対ロシア戦争での敗北などにより失脚し、ナポレオンに対し融和的な叔父カール13世が王位につきます。カール13世は、高齢でしたが子供がなく、デンマークからカール・アウグストという王子を養子に迎えます。ところが、このカール・アウグストは、養子縁組をしたすぐ後で事故死します。この事故が、実は暗殺だという噂が飛び交い、当時の新聞は、カール13世と折り合いの悪かったフェルゼンが首謀者だったと書きたてます。フェルゼンは、カール・アウグストの葬列の先導を命じられ、その途中で、暴徒に襲われて撲殺されます。近くにいた衛兵も誰も助けなかったそうで、要するにカール13世もグルだったわけですね。
カール・アウグストに代わって、王位継承者になったのは、フランスの元帥ベルナドットでした。一兵卒からたたき上げ、当時のフランスで大人気だった軍人ですが、その大抜擢の理由は、ナポレオンの元婚約者で、「永遠の恋人」のデジレ・クラリーと結婚していたことだとされています。ベルナドットとデジレの間に生まれた息子は、ナポレオンが、愛読書『オシアン』の登場人物にあやかり、「オスカル」と名付けています(この辺が、池田理代子うまい!と思います)。ベルナドットから始まる「ベルナドッテ朝」は、現在のスウェーデン王室まで続いています。
補足がやたら長くなりましたが、『ベルばら』とスウェーデン王室の意外な関係、楽しんでいただけたでしょうか?
ここで本題に戻り、ストックホルムの街の様子をお見せしたいと思います。
▲友達と半分こして食べた、巨大なクネール・ブッレ。クネール・ブッレは、通常カタツムリ型の、シナモンの入った菓子パンです。
▲友達が缶詰めになっている、ストックホルムの王立図書館。
この後、一人で大通りを歩いていくと…
▲映画館。一度入ってみたいです。
▲謎のオブジェ。横から見た図。
▲正面から見た図。