さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

ヴェルムランド紀行3 学会~スウェーデン語15時間

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この記事、無駄に長いです…。すみません。

去年は、たくさんのラッキーな出会いが重なって、現在のウップサラ留学にこぎつけたわけですが(詳細は一番下の去年の記事参照)、今回も、なかなか運命的な出会いがありました。

今年は、ラーゲルレーヴ生誕150年ということで、ストックホルムの各博物館で特別展があり、4月に記念行事に招かれていってきたのですが、この時に、去年の学会でわたしのことを知り、覚えていてくれたおばさんに声をかけられました。そのときにメールアドレスを交換して、何度かメールのやり取りをしたのですが、なんと偶然にも、このおばさんとご主人が、同じユースホステルに泊まっていたのでした。

前述したように、ここは交通の便が悪く、土・日は、バスも全くありません。最初は、土曜日に学会のある「ロトナロス公園」までは8キロなので歩いて、日曜日に記念行事のある「エストラ・エムテルヴィーク」と「モールバッカ」まではいくらなんでも歩けないので、タクシーで行くつもりだったのですが、おばさんとご主人は車で来ていて、全部のところに乗せていってくれました。

このおばさん、『サザエさん』に出てくるフネさんみたいな感じの、とても優しいおばさんで、何より、車で連れて行ってくれたのは、本当に助かったのですが、実を言うと、この日は、かなりつらかったです…。学会が始まるのが、朝の11時で、10時にユースホステルを出ました。つまり、朝の10時に、わがスウェーデン語・デイがスタートしたわけです。
10時半に「ロトナロス公園」に着き、まずは、学会の偉い人たちに挨拶。11時から学会報告。去年と同じく、いきなりさせられる自己紹介(しかも今年は舞台の上)。なぜかわたしは、ここではVIP待遇で、今年は、昔のレシピを再現した料理の本と、ラーゲルレーヴTシャツと、ニルスのキーホルダーをもらっちゃいました!こんなにされたら、論文で成果を挙げないわけにはいかず、ここでつまらない話をするわけにもいかず、いやがうえにも緊張感は高まります。
休憩時間は一口つまむまもなく、今書いている論文の方向性、日本におけるラーゲルレーヴの認知度、ノーベル賞授賞式でラーゲルレーヴの話をした大江健三郎の作品の傾向と日本における位置づけ等について、いろんな人と質疑応答。
昼食時間は、再びフネさんとスウェーデン語会話。途切れる間なし。フネさんが席を外すと、ほかの人がやってきて質疑応答。

この日のもう一つのメインは、ラーゲルレーヴが1918年に第一次世界大戦に反対して書いた『追放者』の舞台でした。わたしにとっては、初めてスウェーデン語で読んだ作品でもあり、感慨深いものがありました。が、今回の舞台は、かなりオリジナルの要素が入っている上、台詞が早口で、ややこしい!舞台は4時に始まったのですが、前半が終了するころには、スウェーデン語を聞きすぎて頭痛がしてきました。たまらないので、休憩時間中はお手洗いにこもろうと思ってそそくさと席を立つと、入り口付近の人に呼び止められて質疑応答。その人が席をはずすと、隣の人に呼び止められて質疑応答。
結局お手洗いにもいけず、後半スタート。舞台上の人がスウェーデン語の台詞(しかありませんが)を言うたびに、後頭部が痛い。もう途中で、理解することを半ばあきらめたのですが、それでも俳優さんは、赤塚不二夫のおまわりさんの放つ弾丸並みのスピードでスウェーデン語を発します。この作品の主人公は、最後死ぬるのですが、気の毒な彼が舞台上でばったりと倒れた時には、ちょっぴり喜んでしまいました。そろそろ終わるぜ!って思って。しかし、お芝居の常で、こいつめ、死にかけて倒れたまま粘る粘る。
しかし、ほどなく舞台は終了。と同時に、隣に座っていたフネさんと、舞台の感想についてスウェーデン語会話。それが終わると、車に乗るまでの間に、いろんな人とお礼&別れの挨拶。

しかし、わたしのスウェーデン語・デイは、ここで終わりませんでした。朝、おばさんたちに、夜11時から、湖畔のすてきな教会でコンサートがあるから、行かない?って誘われ、OKしてしまっていたんですね。舞台は8時前に終わり、教会までは車で30分ということなので、2時間くらいはユースホステルで休むものと思っていたら、なんと、暗くなってからでは教会を見れないというので、そのまま教会に直行。車中、スウェーデン語会話。しかも、道が悪いのに、車は少ないということで、おじさんは「ひゃっほう!」って感じで車を飛ばします。おばさんはいい人なのに、スウェーデン語で話しかけられるたびに、頭痛を通り越して、吐き気がしました。教会に9時ごろ着き、それから2時間、コンサートが始まるまでスウェーデン語会話。
コンサートは当然スウェーデン語の歌ばかり(1に載せた、「ああうるわしのヴェルムランド」もありました)。帰る道すがら、コンサートの感想をスウェーデン語会話。ユースホステルに帰ったのは12時過ぎでした。ユースホステル的な冷たいシャワーを浴び、共同台所でお茶を飲んで、さあ寝ようとすると、今度は、学会に参加していた別のおじさんが新聞を読みに出現。再びスウェーデン語会話。これは短かったですが。

結局、朝の10時から夜中の1時まで、途切れることなくスウェーデン語を聞き続けた、まさにスウェーデンスペシャルな日でした。しかも、つらいのはわたしのスウェーデン語能力が低いからであって、話しかける人には罪はないので、笑顔を絶やすわけにはいかず、顔で笑って後頭部で泣いてな日でした。

罪はないどころか、どこの馬の骨とも知れないわたしに、いろんな人が興味を持ってくれて、親切にしてくれるって、とっても幸せなことです。向こうだって、わたしに分かるように話そうと思えば気も遣うし、こちらのへたくそなスウェーデン語を聞けば、ストレスはたまるだろうし、それでも、ずっと話しかけてくれたわけですから。でも、それはそれとして、15時間はものすごい体験でした!マラソンだって、4時間ですからね。

去年の学会についての記事はこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/megamiyoutae/15958669.html