さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

155kmのベルリン散歩・結びに代えて~マクシミリアン・コルベ神父

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前回で、歩いた道のご報告はすべて終わりましたが、わたしはあとがきのない本が嫌いなので、エピローグを付けたいと思います。といっても、これまでに色々考えたりしたことは、たいていその回に書いてしまったので、今日は、書き損ねてしまったけど書きたかった、コルベ神父のことを書こうと思います。

ポツダムのサクロウ湖まで歩いた7回目、歩き始めのころに「マクシミリアン・コルベ通り」という通りがありました。赤く印をつけたのが、大体の場所です。

コルベ神父は、ポーランド人のカトリック神父です。戦前は長崎にもいたことがあるのですが、ナチスが政権を取ると、アウシュヴィッツに収監されました。アウシュヴィッツでは、一人脱走者が出ると、同じグループの中から無作為で10人が、「餓死室」に送られていたそうです。文字通り、10人の人を小さい部屋に閉じ込めて餓死させるというものですが、ある時、コルベ神父のグループから脱走者が出て、餓死室送りの10人が選ばれました。この中に、ガヨビニチェクという、ポーランド人の兵士がいました。兵士は、自分には妻子がいるので、どうか殺さないでくれと、地面に倒れて、泣きながら看守に懇願しましたが、看守は聞く耳を持ちませんでした。すると、この10人には入っていなかったコルベ神父が、「私は神父で、家族はいない。私が身代わりになります」と申し出ました。ガヨビニチェク氏は外され、コルベ神父が、他の9人とともに餓死室に送られました。

通常は、この部屋に入れられた人は錯乱し、共食いが行われることもめずらしくなかったそうです。しかし、コルベ神父のいたグループでは、神父を中心に、最後まで皆が励ましあい、祈りあって、おだやかに死んでいったそうです。通常は2週間ほどで皆死ぬのに、神父は、3週間以上生き続けて、最後は毒殺されました。後に、ヨハネ・パウロ2世は、神父を聖別し、現在、命日の8月14日は、神父の記念日となっているそうです。

わたしがコルベ神父のことを知ったのは、小学校6年生のころ。カトリック系の私立中学の過去問に、早乙女勝元『優しさと強さと―アウシュヴィッツのコルベ神父』が抜粋されていたからでした。早乙女勝元はあまり好きではありませんでしたが、この本は図書館で見つけて、最初から通して読みました。過去問の抜粋は、コルベ神父が身代わりを名乗り出る場面だったのですが、原本には、ガヨビニチェク氏が、アウシュヴィッツを生き延びて、80歳を過ぎた今(本が書かれたのは89年)も、コルベ神父のことを語り続けているとありました。

高校一年生だった1995年、新聞で、ガヨビニチェク氏の訃報を見つけました。94歳での大往生で、訃報には、コルベ神父のことを生涯語り続けたとありました。

コルベ神父は、残っている写真が長いひげを生やしていることもあり、これまでずっと、それなりの年の人だと思っていたのですが、今回の記事を書くために調べてみたところ、神父の享年は、47歳でした。ガヨビニチェク氏は、コルベ神父のちょうど2倍、生きたことになります。

ベルリンの壁跡を歩く連載のプロローグに、わたしは、現在のドイツにおける冷戦時代のステレオタイプ化への疑問を書きました。冷戦に限らず、ナチス時代に関しても、ポリティカル・コレクトネス(この問題については、こういっておけば大丈夫、という言い方。卒論のときに習いました)が出来上がっていて、これも、わたしの言葉ではありませんが、定式化された形で反省を示すことが、一種の「免罪符」になっている部分は、大いにあります。たとえば、近年、ナチス時代や東ドイツ時代を舞台にした文学や映画はたくさんあります。個々の作品としては、優れたものもたくさんありますが、「ナチス時代を反省して」とキャッチコピーをつければ、どんな作品でもある程度売れてしまうという側面は、否定できないと思います。今回わたしが歩いた遊歩道にしても、「今でもちゃんと冷戦時代を考えているんだ」という「免罪符」であり、しかも、遊歩道であるがゆえに気軽に参加できる毒抜きのそれであり、わたしもそれに加担して、何か考えたような気になった部分は、抜きがたくあると思います。

コルベ神父の名前を通りにつけることも、そのように言ってしまえば言ってしまえるわけですが、ただ、わたしは、一つの国の態度として、自分たちが殺したポーランド人神父の名前を通りにつけるというのは、やはり立派な行為といえると思います。

この連載は、コメント欄にてasakoさん、saitoさんの援護射撃(?)もいただき、また、メールで感想を伝えてくださった方もいて、わたしにとっても刺激の多い連載でした。ベルリン最大のイベントには違いなかったので、このような形で皆様に喜んでいただけて、嬉しいです。ウップサラでは、ここまではちょっと無理ですが、また、面白い記事を心がけて行きたいと思いますので、今後とも、よろしくお願いします。