さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

生きるべきか、死ぬべきか~授業でアンデルセンについて発表

何人かの人にはメールで伝えましたが、わたしはこの一月、なんと1週間の間をおかずに、発表を二つ抱えています。そのうちの一つが、昨日終わりました。

ドイツに来てもうすぐ一年になりますが、ゼミで一人で発表するのは、実は、今回が初めて。これまでに、論文指導で数人の学生の前で話したことはあるのですが、これはごく内輪といった雰囲気でしたし、ずっとやってるテーマだし、11月に発表したのは、入門の授業だったので、専門の作家について一般的なことを言えば良かった上、グループでの発表でほかの子がほとんどしゃべってくれました。

しかし、今回は、先生に与えられたテーマで、読んだことない本で、しかも一人で発表しなくてはなりません。どの作品について発表するかは選べたのですが、リストにあがっていた本は、スウェーデン語のものがなく、デンマーク語やノルウェー語で本を一冊読むのはまず無理ということで、日本語訳のありそうなアンデルセン『生きるべきか、死ぬべきか』を選び、友達に日本語訳を送ってもらって(その節はお世話になりました)、どうにかこうにか準備したのでした。

しかし、今回は連ちゃんなのがつらかったとはいえ、それなりにラッキーなこともありました。まず、クリスマス休暇中に、たっぷり準備をする時間があったのがよかった。さらに、同じ本を授業で2度扱ったのですが、わたしは2回目で、前回、作家や作品の紹介、作品の大まかな意義については、すでにほかの子が済ませてくれていました。で、わたしは、「解釈を自由に発展させる」役回りでした。

わたしを知っている人はご存知だと思いますが、わたしは頭が悪いからなのか、要領が悪いのか、物事をまとめて簡潔に話したりすることが、とても苦手です。話し始めると、くだくだと話がどこまでも広がっていって、自分でも何を言っているかわかんなくなります。大量の参考文献を正確に読んで、核心にさらりと触れることのできる人などには、崇拝に近いものを感じます。

でも、テクストをねちねち読んで、誰も注目しないこっちの表現とあっちの表現の関連を指摘したりするのは、得意かどうか知りませんが、それをはじめると生き生きしてくるので、今回は、前回の結論をもとにそれをすればいいというので、ある意味独壇場でした。

ドイツ語は、あいかわらずひどく、緊張もしていたものですから、読み始めて3行ほどで、解釈の鍵になる言葉Unsterblichkeit(不死性)がどうしても言えずに、死にまくったり、一度は、ほかの学生に、「ここは違う」と言われて、「いや、違わない」と言い返しはしたものの、どうにも議論がかみ合わず、先生に「これはドイツ語が間違っているだけで、彼女の言いたいのはこういうことで、あっている」と、恥ずかしいフォローをしてもらったり、散々でしたが、図太さだけは増していたので、それでもめげずに、言うべきことは言い、最後は先生の聖書伝説(アハスヴェルス伝説)に関する覚え違いを指摘したりもして(これはちょっとカッコよかった)、どうにかこうにか発表を終えたのでした。

中身そのものは、とても好評で、授業中、先生にも、終わってからは学生にも、「面白かった」とほめてもらいました。この大学のスカンディナヴィア科は、ほめる教育を目指しているっぽいので、そこは割り引いてもやはりうれしく、教室を出た後、「ER」のオープニングのベントン先生ばりに、一人廊下でガッツポーズを取りました。

来週の月曜日、もうひとつの発表があります。生きて帰れればいいのですが。