さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

スウェーデン語朗読CD

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先週で夏時間が終わり、日本との時差も8時間に戻りました。これで朝起きるのは楽になりましたが(とりあえず6時半は暗くないし)、当たり前ですが夕方は早く暗くなり、5時過ぎには真っ暗です。でも、ここで暗さについて熱く語り始めると、先週とネタがかぶるので、今日は別のことを書きます。

ドイツでもそうですが、スウェーデンでは、文学作品の朗読CDが結構出ています。リンドグレーンが自作を読んだものなどもあるのですが、2007年春、わたしが現在博士論文を書いている『エルサレム』のCDが出ました。岩波文庫版の翻訳で、500ページ前後の上下全2巻という大作なので、CDは16枚組み、全18時間です。本当は、ちゃんと原文とにらめっこしながら聞きたかったのですが、そんなことをしていると永遠に終わらないので、コピーをとっている時やプリント整理をしている時など、時間はかかるけど頭は使わない時にちょっとずつ聞いて、今朝、ようやく聞き終わりました。

イレーネ・リンドという人が一人で読んでいるのですが、舌を巻いたのは、40人くらいいる登場人物が、男の子は男の子に、女の子は女の子に、若者は若者に、娘は娘に、老人は老人に、老女は老女に聞こえます。それだけでなく、口調も、「ああ、この人物はこんな風にしゃべるよな」と思わせる(もっとも、ヒロインだけはわたしの想像と違いましたが)もので、早速リンドさんのファンになりました。

しかし、とほほなのは、このCD、切れ目が章も内容もお構いなしにやってくることです。たぶん、そこを区切りよくすると、枚数がとんでもないことになるんだと思いますが、良い場面でぷつっと切れたりすると、ため息が出ます(ブログにこんなタイトルつけたから…)。わたしの好きな場面に、若い女の子が熱射病自殺する場面があって、どのくらい好きかというと、それが好きなあまりに論文一本書いてしまったくらいに好きなのですが、その場面に至っては、章の終わりまであと数行、最も盛り上がるところでCD9が終わります。日本語に直すと以下のような感じ。そういう場面なので、リンドさんは緊迫感たっぷりに読んでいます。

「だが、それでも彼女は、神が彼女をして生を去らせ、天国の母のもとへいざない、あらゆる悲哀から解き放とうとしているのだという考えを捨てなかった。
 彼女は立ち上がり、首の後ろに組んでいた両手を再び解いて、まるで教会の中央通路を進むように、太陽の光の中に、ゆっくりと進み出た。」

プツッ…ズー。(←CD9が止まる音)
「ハァ…」(←ため息)。
カチャッ パチッ トン ツッ。(←CDを換える)
ピッ。(←スイッチ・オン)
ズーー。(←CD10がまわる)

「(即物的に)セルマ・ラーゲルレーヴ。『エルサレム』。CD10。

                  間。

(さっきと同じ緊迫感で)ほとぼりは少し冷めていた。外に出てしばらくは、追手も、槍の穂先も、きらめく矢も感じなかった。
しかし何歩か歩くと再び、あらゆるものが、待ち伏せていたように彼女にのしかかった。地上のあらゆるものが光り、ひらめきを放ち、太陽は、鋭い閃光と化し、うなりをあげて彼女の背後に迫り、首に打ちあたった。
 彼女は、それでもなお、何歩か歩いた。それから稲妻に撃たれたように地面に倒れた。
 コロニーの人たちが、数時間後に彼女を見つけた。彼女は片方の手を心臓に押し当てて横たわり、まっすぐに伸ばしたもう片方の手に手紙を握って、彼女を殺したものはそれだと訴えているようだった。」

この人物は、作中で気の毒な人No.1なのですが、映画版でも存在がカットされ、なおかつ名前だけがまったく別のキャラに使われたり、CDでもこの扱いで、どこまで行っても不遇です。わたしが論文を書いたので、ちょっとは喜んでくれたでしょうか。