さかなのためいき、ねこのあしおと

スウェーデン滞在記。現地時間の水曜日(日本時間の水曜日午後~木曜日午前中)に更新します。

初体験!スウェーデン語でゼミ発表

この記事は、文字ばっかりです。写真を楽しみに来てくださった方、すみません。今回は二本立てで、次の記事は写真オンリーです。
 
前々回の「テンプラ・パーティ」の記事でも書いた通り、今回の滞在の目的の一つは、「2008年の長期滞在時にお世話になった人たちに、お礼をすること」でした。パーティもそうですが、学者としてできる最大のお礼は、研究成果を還元すること。というわけで、帰国も迫った3月末、ウップサラ大学文学部のゼミで、口頭発表をすることにしました。スウェーデン語での発表は、これが初めてです。
 
少し専門的な話になりますが、2007年と2008年にドイツとスウェーデンに留学した最大の成果は、「日本を外から眺める視点」「自分を客観的に見る視点」を得たことでした。わたしは、日本の大学の独文科でスウェーデン文学を研究する(した)という、かなり特殊な立場にあります。日本にも、北欧語を専門に学べる大学はいくつかありますが、そうした大学の研究者と比べ、北欧語はできないし、集められる情報も少ないです。一方、ドイツ文学の専門家に比べ、ドイツ語やドイツ文学に関する知識も劣ります。さらに、ドイツやスウェーデンの北欧文学研究者と比べると、語学力や情報収集能力は、格段に下がります。留学の最大の目的は、そうした自分が、「~に比べて劣る」のではなくて、どうすれば独自性を持って、日本や世界のドイツ文学・北欧文学研究に貢献できるのかを探すことでした。
 
その中で見つけたのが、「受容史研究」というジャンルでした。ある作家や作品、場合によってはある地域・時代の文学全般が、どのように受け入れられたのかを研究します。日本のドイツ文学研究では、あまりやっている人はいないようなのですが、近年のドイツやスウェーデンでは、割とよく見かけるテーマです。
 
ただ、そうした中でありがちなのが、「作家Aが作家Bを受容した。その影響は作品Cに見られる」ということを羅列したもので、これでは、作家Aや作家Bに関心がある人にしか、興味を呼び起こしません。
 
そこでわたしは、日本の近代史と、北欧文学の受容の関係を考察することにしました。この間のBS特集でもそうでしたが、北欧には、「幸せの国」というステレオタイプ・イメージがあります。もう少し具体的に言えば、福祉国家とか、女性解放が進んでいるとか、自然がきれいだとか。そうしたイメージが生成する過程を、誰が、どのような関心を持って北欧文学作品を訳したかを考察することで、明らかにしたいと思いました。同時に、外国人(今回の場合はスウェーデン人)に対して、日本の近代史を紹介するようなものにもしたいと思いました。現在でも、ヨーロッパでは、「ハラキリ、ゲイシャ、フジヤマ」な日本イメージは根強いです。大学院に行っている人ような人はそこまでではありませんが、「日本は中国の一部である」とか、「今でもキモノを着てカタナをさしているサムライがいる」と思っている人は、町にあふれています。そうしたイメージを、少しでも変えたいと思いました。
 
具体的な内容に興味がある人は、以下のリンクをどうぞ。
 
▼当日使った、スウェーデン語のレジュメ。訳者の写真を探していたら、荒正人の出身地として、南三陸町が出てきました。
 
▼発表のもとになった、日本語論文
 
このゼミは、普段の出席者が5~6人ということで、あまり気負わずに行ったのですが、教室に行ってみると、参加者は20人強。小さい部屋に、体の大きなスウェーデン人が、みっちりと詰まっています。しかも、比較的ヒマな学生だけではなく、ストックホルムの図書館で缶詰めになっていっぱいいっぱいな友達とか、えらい教授とか、時間を無駄に使わせることの許されない人たちがちらほら混じっています。前回の滞在時には、わたしは発表をしたわけではないので、この人たちは、「日本人がスウェーデン文学を研究している」というインパクトの面白さに惹かれてきただけで、実際に聞いてみると、わたしの研究はつまらないと感じるかもしれません。しかも、もともと語学のセンスがないうえ、30歳近くなって初めて本格的に学んだわたしのスウェーデン語の発音は、「じす・いず・あ・ぺーん」のレベルです。一時間後に、この人たちが全員わたしに幻滅するのかと思うと、絶望的な気分になりました。
 
…が。実際はそうでもなく、この発表はかなり盛り上がりました。活発な質疑応答もあり、終わった時には、エレガントな女性の教授が、「面白かった」と言って握手を求めてきたり、学生が「面白かったよ!ふつう、一時間以上の発表というものは、どんな面白い発表でも途中で飽きてくるものだけど、君のは全然、そんなことなかった」と褒めてくれたり、数日後、「テレビで日本の近代化のことをやっていたけど、あれが君の言っていたエド・ジダイやメイジ・ジダイのことだとよくピンときた」と声をかけられたりしました。終了後、「ER」のオープニングのベントン先生張りのガッツ・ポーズをしたことは、言うまでもありません。
 
ちょっとは、お世話になった人に恩返しができたかな。事業仕分けで危うく潰れかけた資金での渡瑞でもあったので(ラップランド旅行は休暇日に私費で行っています。念のため)、学問が「無駄」ではないこと、学者が「無能」ではないことを、証明したいという気持ちもありました。それが成功したかどうかは、よくわかりませんが。